今回は「読んでいない本について堂々と語る方法」の読書ログです。
2023年10月以降に読んだ本はブクログの本棚に記録しています。よければご覧ください~。
ざっくり感想
著者が大学の文学の教授とのことで、本書は主に読んだことのない文学や小説に焦点を当てて論じる構成でした。
基本的に人は、本を読む理由として
- そもそも活字が好き、なんとなく、趣味
- 教養を得るため
の2つの動機があるかと思います(ちなみにminは前者です)。
このうち、後者の動機について、本当に読書をするだけで教養が身につくと思う?むしろつかないんじゃない?と著者は投げかけてきます。教養を得たいなら、個別具体的な内容より、その本がどんな影響を受けて書かれたものか、その結果周囲にどういう影響を及ぼしたのか等々、外界での位置づけを理解するほうが重要だと説きます。
実際、読んだことがない本について語ろうとするなら、それ(外界での位置づけ)を知らないとお話になりませんしね。その点、著者は今まで読んだことがある・ないに関わらず議論の中で使っています。なるほど読んだことがない本についてでも、こんなに文章を書けるもんなんだなと感心しながら読み進めました。
ところで本書の面白いところは、じっくり読んでいかないと著者の言いたいことにたどり着けない気がする点です。というのも、著者は「極論読書なんぞしなくていい」「流し読みでも大丈夫」のような考えの持ち主なんです。ところが本書は、大部分が小説について論じる文脈の中に著者の考えが書かれる、という構成になっています。読んだことがない小説ばかり引用されるので、読者側としてはじっくり読まざるを得ないのです。。。
本書で書かれていることを実践していくのは難しいと思いました。
3つの学び
本書を読んで得た気づきは次の通りです。
- 「読んでいない」にも種類がある
- 同じ本を読んだ同士でも、必ずしも会話が成り立つわけではない
- 本の批評は創作になりえる
「読んでいない」にも種類がある
著者は、「読んでいない」とはどういうことかをまず定義していました。
普通に考えると、読んでいない イコール 本を開いたことがない だと思い浮かべるんじゃないでしょうか。
ですが著者はその他にも
- 人から聞いたことがある本(内容は朧げに知っている)
- 読んだが内容を忘れてしまった本(部分的にしか覚えていない)
- 完全未読(開いたことも聞いたこともない)
- 流し読みをした本(だいたい把握している)
を「読んでいない」として定義しています。
この考え方を見て思ったのが「じゃあ読んだってどういう段階なんだろう」ということです。だって流し読みも読んだにカウントしないのなら、読んだイコール一言一句すべて理解した、にしかならなそうな。それって結構ハードル高いですよね。
「実はわたし読書してないのでは、、、?」と読書ログを付けている人間にあるまじきことを考えてしまいました。
同じ本を読んだ同士でも、必ずしも会話が成り立つわけではない
これ、要は解釈の話です。
わかりやすいのが小中高での国語の問題の例。
もし同じ本を読んで全員同じ解釈をし同じ答えを書けるのなら、受験科目になんてなりません。ところが実際だと、「正しい解釈」が存在する一方、的外れな答えを書いては「国語嫌い!!」なんて思うような点数をとってしまう人が少なからずいるわけです。
この正しい解釈はいったん置いておいて、重要なのが「解釈は一通りではない」ということ。
筆者が言いたいのはこういうこと、この文章からこんなメッセージを受け取った、等々、読んだ人は自由に内容を受け取ります。その結果、同じ書物を読んでいるはずの人同士でも、なんかかみ合わないな、、、?という会話になることもあり得るそうです。
わたしは本の内容について語り合うという経験をしたことがないので、逆にしてみたくなりました。笑
おわりに
正直、この本は読むのがとても難しかったです。
著者が別の本の内容を借りて、その文脈で主張するため、同時並行で2冊くらいの小説を読むような頭の使い方をしました。その上、登場人物がことごとく横文字なのも混乱の元(著者はフランスの方なので当然なんですがね、、、)。
言いたいことをどれくらい受け取れたかはわかりませんが、むしろ流し読みして概要を把握できれば十分、という著者の考え方にならい、今回の記事はここまでにします。
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